水曜日の午後9時から放送されている橋田壽賀子ドラマ となりの芝生。
早く家に帰れた日でも通常は俺はEXERCISEを行なうから
ほとんどこのドラマを見ることはないんだけど・・・
たま〜にドラマの終盤のみを鑑賞することもある。
やっぱり気になってしまうのは登場人物たちの喋り方。
渡る世間は鬼ばかりの時もそうだったけど・・・
登場人物たちが、みんな似たような話しかたをするんだ。
語尾は決まってありゃしない。
俺の周りでこんな言葉を使っているのは聞いたことがないんですけど・・・
これが同じ家族間であれば、みんな同じ環境に生活しているわけだから
似通っていて当然なんだけど、初対面の人までが・・・
ありゃしない!
ありゃしない!
なんか不自然なんだよなぁ〜・・・
あと、このドラマでやっぱり気になってしまうのは時代背景。
ハニーがこんな時代あった?
とひっかかっているよう。
姑の泉ピン子と嫁の瀬戸浅香の間でよくこんな会話が繰り返されていたんだそう。
”今日出かけようと思ったのにあんたたちが出かけるんならわたしは留守番してなきゃいけないじゃない!”
”お母様、どういらして下さい。わたくしの約束は断りますから・・・”
なんで鍵かけて出払っちゃいけないんだろう?
なんで家に誰かいなきゃいけないの?
このとなりの芝生は1976年にNHKの『銀河テレビ小説』枠で放送されたんだそう。
となりの芝生 (中公文庫)
その時代には誰かが家にいなきゃいけないって習慣が日本にはあったのかな?
だけどなぜ?
とは思ってしまう。
今となっては不思議な習慣だけど、きっとその頃の日本にはそれが当たり前だったのかもしれない。
だけど2009年に放送されるんだから、現代の時代背景に多少近付けてもいいような気もするのはあたしだけ?
なのかなぁ〜・・・
まあ多少の不自然さやひっかかりがあっても作者の橋田壽賀子が大物過ぎて誰も意見を言ったりは出来ないんんだろうけど・・・・・・
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多分、留守番に関しては、当時は携帯はおろか、家庭用の電話機に留守番電話機能が無かった時代かと思います。
なので、お姑さんとお嫁さん、両方出かける訳にはいかなかったのでしょうね。
私は、「サザエさん」を見ていても、同じような違和感を感じることが多いです。
よその全然知らない子供を家で預かったりとか、今の感覚ではあり得ない話が多すぎです。
それとも、昭和の時代はそれが当たり前だったのかなあ?
いろいろな家事に関しても昔はもっともっと時間がかかってたわけですからね。昔の人って大変・・・でも未来の人は今の時代はうそだろう!って思う位にきっともっと進化しているんだろうなぁ〜